3連休、いやいや + ちょっとまじめな話

2連休の間違いでしょw
こんばんは、Sekireiです。
まぁ、休日出勤なわけですし、たっぷり寝てやろうと計画中です。
どうにか明日で終わらせて2連休は確保できればいいなぁ。


さて、昨日は下ネタチックだったのでちょっとまじめな内容を書いてみます。
ちょっと今日、友人のツイートで興味深いもの読んだもんで。
前々からちょっと感じていたものもあったので、書いてみることにしました。
まとまりないよ?
それと、あくまで主観に基づくものなので、そこはご理解くださいね。




M9.0を記録した地震から1週間ですか、なんだかこの1週間は本当に長かった気がするよ。
今回の地震津波等の災害で亡くなられた方のお悔やみを申し上げる次第です。
あの災害から明らかにTVを眺める時間が増えた、ネットから情報収集することも増えた。
そんな行動を続けるうちに強く感じてしまったのだ、マスメディアの必要性、そしてあり方について。
うん、これが今回のテーマ。


マスメディアの必要性を問われれば、自分は迷わず答えると思う。
「必要」だと。
そういった情報を発信するメディアがなければ、大衆は情報をそう簡単には得ることができないだろう、自分からの距離が離れれば離れるほどに。
1人で集められる情報量にも限りがある。
いろんな面から評価してみても、多くの情報を集約したくさんの人々に向けて情報を発信するメディアの重要性は本当に高いと感じる。
それをしっかり理解したうえで、今のメディアについて考えてみる。
メディアと言っても広いので、今回はTV報道に限った話で。
地震後、多くのTV局が被災地へ飛び回り被災地の現状や今後予想される二次的な災害、さらには地震の情報と多くの情報を発信していると思う。
だが、ここでTV報道の必要性について問われれば自分は素直に「必要」とは言えない。
決して必要でないことはない、だがしかし、これだけの数の局がある必要はない。


こんなシーンがあった。
あるニュース、会見の様子を生中継すると映像が現場へ移った。
現場では責任者が質問に答える姿を見て取ることができた。
その時、いくらチャンネルを回してみてもそこには同じ光景が映し出されていた。
せいぜい、映像の角度・音量の大きさ、違いと言えばそんなものだろう。
今回の地震に限った話ではない。
例えば選挙。
その時期になるとどこのTV番組でも開票の様子を伝え、その結果に一喜一憂する候補者の姿が映し出される。
その姿を見ながら専門家らしき人が何か語っている。
結局、どこのTVからも流れるは切り口は違えど同じような情報。
何が言いたいかは察しが付くだろうが、言ってしまえばこんなの1局分の情報収集力で事足りる。


地震の2日後くらいだったろうか、ツイッターで自分はこんなことを呟いた。
もっとTV局全体が連携して、情報の種類ごとに局所化すべき。
地震情報はこの局、津波情報はこの局、生存者情報はこの局、とか。
また、宮城県はこの局、福島県はこの局、とか。
同じような内容を求め各局が現地へ赴くそのマンパワー・マネーパワーを、もっと別のところに使ってもらいたい、と。
同じような内容のコメントがヤフーのコメント欄で1位になっていたのを見て、自分だけじゃないんだなと感じた。
このほうが見ている側も自分が知りたい情報を得られやすくなるし、より広い情報を知ることができるのではいだろうか。


今日のヤフーのニュースで磯山さやかさんの記事を見た。
要約するとこんな感じ。
「宮城の被害もすごいことは理解している。しかし、茨城も大きな被害が出ているのだからもっと目を向けてほしい。」
言われてみれば確かに、と感じた。
東北がなんだかキーワードのようにTVから聞こえてくるからか、東北が注目されていることに気付かなかった。
別の言い方をすれば、とにかく東北地方が甚大な被害を受けていると洗脳されたかのよう。
いや、洗脳は違うか。
ただ、視点を操作されてしまっていたのは事実かなと。
そこばかりに視点が固定されてしまったかのように。
決してその事実は間違っていることじゃないけど、もっと他に知るべき情報があるわけで。
そんな時ですよ、自分のところは茨城へ取材し惨状を伝え援助の必要性を伝えてくる、といったところが現れないのか残念でしょうがない。


きっとそこに欲しい情報は埋まっているだろうし、さらに知りたくないけど知らなきゃいけない現実だってあるだろう。
どの局も思いつかなかった、という可能性も0ではないけどほぼない。
どうも勝手にこの事実がないことにされている気がしてしょうがない。
視聴者の人が求める情報、知るべき情報を伝えることこそがニュースの本質ではないのだろうか。
自分は専門家ではないから理論的な話をされたらきっと返せない、でも、今見ているTVの世界には自分が求める姿がない。
それだけは事実。


じゃあ見るなと言われればそれまで、1人の奇抜な意見だとしたらそれで結構。
でもね、決してそうじゃないと思うんですよね。
今日もTVから同じような映像が流れてた。
もうちょっと努力すれば変わると思うんですよ。
話は変わるけど、TVの誇張表現もそう。
今、地震の影響でいろんな被害が出て危険性も残る。
いろんなことを2倍3倍くらいにも膨らまして話し、根拠もない話(少なくとも自分には納得しきれない)を当たり前のように話す。
もっと、現状○○で△△だけども、××がこうなってきているから□□になる。
だから大丈夫なんです、そんな理論がほしい。
そして、それは自分を含めた一般人が聞いて分かる形の表現で。
専門家だけがわかる報道に何の意味がある、逆に身近な数字や単語だけに振り回されて逆効果。
こんな放送は視聴者の不安や危機感を煽るだけ、その煽りの結果逃げたりパニックに陥る視聴者が現れる。
そして、TV局はそれを映像に収め報道することによりさらにそういった人が生まれる。
それに気づいているんだろうか、それともそんな事実よりも数字が大切なのだろうか・・・。


今回の一連の騒動が収まったら、今後のTV報道の在り方についてもっと意見が交わる機会があればいいなと切に思う。
もっとね、TV局とか1つ1つが孤立するのではなく全体で1つに結束し行動するような、そんな風潮ができてほしい。
これが永遠に続くのならばはっきり言ってお金の無駄遣い、電気の無駄遣い。
無駄を省く、エコは今やTV局のキーワード的存在でしょ?
まず自分たちがその姿を見せないと、だれもついてこないよ。
ちょっと感情的になった部分もあるかもしれないですが、そんなことを思った次第です。


ちょっと話変わるけど、被災地に行ってただインタビューの映像を流す行為に何の意味があるの!?
大丈夫ですか?食事はしっかりとれているのですか?
このインタビューが終わった後、キャスター含めどんな対応をしているのか気になる。
本当にただそれだけ聞いて帰るなら、正直ひどすぎると思う。
聞こえは悪いが見殺しだろう。
近づけない人もいる中でその資格を得ているんだから、少しくらいそういった人たちのために何かすべき。
逆にしっかりそういった対応をしているのならばもっとそれを報告すべき。
そうやって闇をどんどん作っているから信用がなくなるんだよ、信じられなくなるんだよ。
劇的に変わる期待は過度だと理解していますが、現状の性質から少しでも脱却してほしいと願うのでありました。


長文ごめんね、ではおやすみ!!